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真・撰時抄(自界叛逆難・他国侵逼難)−緊急報告

 

1999年、2000年、そして2001年が過ぎ、まだ何も起こらない。しかし私は見つけてしまった。まだ私も人類も見捨てられていないことを。

 

「わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰ってくる」と、

わたしがいったのを、あなたがたは聞いている。

          中略

今わたしは、そのことが起こらない先にあなたがたに語った。

それは、事が起こった時にあなたがたが信じるためである。

  聖書  ヨハネによる福音書 14章

 

もうすぐ、イエスが空中再臨し、第一次空中携挙が行われる。

 

ちょうど、いなずまが、東から西にひらめき渡るように、

人の子もあらわれるであろう。

   聖書  マタイによる福音書  24章

 

このイエスの再臨は人々に稲妻、雷で打たれたような衝撃をあたえるのである。

 

そして、天にある神の聖所が開けて、

聖所の中に契約の箱が見えた。

また、いなずまと、もろもろの声と雷鳴と、

地震とが起り、大粒の雹が降った。

   聖書  ヨハネの黙示録  11章

 

怖いことは怖いが有難い稲妻を光らせて、

重い雨雲を起こして下さるのは誰であろう、

(アッラー)御自身であるぞ。

雷鳴とどろいてその栄光を称えまつれば、

諸天使も懼れて(一斉に声合わす。)

人間どもがアッラーについて、

ああだこうだと下らぬ議論をしているところに、

雷電さっと打ち落とし給えば、

みこころのままに命中する。

まこと恐るべきお手の内。

   コーラン 雷鳴

 

また日本の神話の古事記でも大国主の所に天孫(天津神の子)に国を譲るようにアマテラスから遣わされたのは、雷の神であるタケミカヅチの神(建御雷神)とアメノトリフネの神 (天鳥船神)である。アメノトリフネの神とは、スペースシャトルだけでなく、UFOのことも意味しているようである。

 

白昼 偉人が雷電に撃たれるだろう

凶行 請願の使者が予言する

夜にはさらに一撃が見舞うと予言が告げる

ランス  ロンドンで闘争 トスカナで悪疫

  諸世紀1−26

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

ノストラダムスも「雷電に撃たれる」と言っているではないか。

 

そしてこの御国の福音は、すべての民にあかしするために、

全世界に宣べ伝えられるであろう。

そしてそれから最後が来るのである。

  聖書  マタイによる福音書  24章

 

そして、イエスが何者であるのか全世界に証、証明されるのである。

「事が起こった時にあなたがたが信じるためである」 とあるように、その時我々は彼らの言うことを認め彼らを仲間として受け入れればよいのである。そして、以下はノストラダムスのイエス再臨と空中携挙の預言である。

 

逃げよ逃げよ すべてのジュネーヴから

黄金のサチュルヌの支配は鉄に変わるだろう

巨大な光の反対のものがすべてを絶滅させる

イエスの再臨の前に  大いなる前兆を空は示すだろう

  諸世紀9-44

「ノストラダムスの大予言」五島 勉  著

 

パルテノはシシリーのさけびから

トリエステの港の準備をすべてととのえ

トリナリアにまで聞こえ

多くの船が飛ぶ 飛ぶ 恐ろしい疫病

  諸世紀8−84

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

猛禽が左へ翔ぶ

戦闘にフランスが加わる前に

ある者は彼を善人とみなし

悪人とも当てにならぬ者ともいう

最小の徒党は彼を吉兆とみなすだろう

  諸世紀1−34

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

海陸を股にかけて駆けめぐる魚が

大浪で浜に打ちあげられる

なめらかで身の毛がよだつその異形

敵軍が海から間もなく城壁に押し寄せる

  諸世紀1−29

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

大荒れの海 異形の舟が

見知らぬ港に迷いこむだろう

棕櫚の枝が合図しているのに

のちに死と略奪 適切な助言は届くのが遅すぎる

  諸世紀1−30

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

努力が北から大きくなり

海上で門がひらかれ

島にある王国はふたたび復興し

ロンドンは船の発見による恐れで動揺する

  諸世紀2−68

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

もちろん、船、魚、猛禽(鳥)とはUFOの譬えである。

しかし分かったのはこれだけではなかった。もうすぐ大疫病が発生し大飢饉を引き起こす。

 

西で準備される恐るべき戦争

次の年 疫病が襲いくるだろう

その猛威があまりにも凄まじいので

     老いも若きも 動物も 生き残ることはない

血 火 水星 火星 木星がフランスに

  諸世紀9-55

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

大飢饉の接近を予感する

そいつはしばしば道を変えやがて世界全体をおおうだろう

広い範囲をいつまでも荒らしまわり

やがて木を根っこから 子供を母乳から引きぬくだろう

  諸世紀1-67

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

誰ひとり望まなぬ不気味な鳥の音が聞こえる

幾重にも並んだ大砲の上空に

小麦の価格はつり上げられ

人間が人間を食べる時代がやって来る

  諸世紀2-75

 「ノストラダムス最後の警告」 飛鳥昭雄 著

 

疫病の波による未曾有の飢饉が

長雨を北極まで押しひろげよう

サマロブランは半球から百里のところ

彼らは法を必要とせず生活するだろう

政治を免除されて

諸世紀6−5

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

やはり、疫病が飢饉を引き起こすのである。それだけではない。その疫病と飢饉はあまりにも凄まじく、人々は武器を取り、暴動と戦争を引き起こすのだ。

 

門の近くの二つの町で

だれも見たことのないような 二つの災難があるだろう

飢きんや疫病に人々は剣をとり

不死なる神に助けを求めて叫ぶだろう

  諸世紀2−6

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

魚のいる池は干あがり

射手座が天にのぼるとき

それは栄えある高貴な飼い葉桶のようで

ペスト 飢饉 戦いによる死によって

新しい時代の近きを告げる

  諸世紀1-16

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

魚座の時代が終わり

元の時間の世界で射手座(黙示録の白馬の騎士)が天にのぼったとき

それはイエス達天使を生み出す栄えある高貴な飼い葉桶となった

この時間の世界では、ペスト 飢饉 戦いによる死によって

新しい時代の近きを告げる

 

ペスト(疫病)が飢饉を引き起こし、さらに戦い(戦争)を引き起こすのだ。まさにこれは聖書などに説かれた終わりの日の徴候である。

 

戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。

こうしたことはまず起こらねばならないが、終わりはすぐにこない」。

それから彼らに言われた、

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。

また大地震があり、あちこちに疫病や飢饉が起こり、

いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるでしょう。」

しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、

人々はあなたがたに手をかけて迫害し、

会堂や獄にひっぱって行くであろう。

それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。

  聖書  ルカによる福音書 21章

 

あなたは敵に囲まれ、激しく攻めなやまされて、

ついにあなたの神、

主に賜ったあなたの身から生まれた者、

むすこ、娘の肉を食べるであろう。

           中略

敵があなたの町々を囲み激しく攻めなやまして、

物が欠乏するからである。

もしあなたが、

この書物にしるされているこの律法のすべての言葉を守り行わず、

あなたの神、主というこの栄ある恐るべき名を恐れないならば、

主はあなたとその子孫の上に激しい災いを下されるであろう。

その災いはきびしく、かつ久しく、

その病気は重く、かつ久しいであろう。

主はまた、あなたが恐れた病気、

すなわちエジプトの疫病を再び臨ませて、

あなたの身につかせるであろう。

  聖書 申命記  28章

 

さあ、またアッラーがお譬えをお引きになった。

或る邑があった。なんの心配もなく、何不足なく、

ありあまるほどの物資が

いたるところから集まって来るのだった。

ところが、これほどのアッラーのお恵みに

忘恩の態度をとりおったので、

アッラーはこれに飢饉と恐怖の衣を(すっぽり被せて)、

人々のした(悪)事の報いを味わせ給うた。

無論、同じ血を分けた(人間が)使徒として遣わされて来はしたが、

人々は彼を嘘つき呼ばわりした。

だから、悪事をはたらいている真最中を

天罰に一撃させてしまったのであった。

  コーラン  蜜蜂

 

われらの主、ケッアルコアトルが

支配する太陽である。

それは定められた道に沿って運行するがゆえに

動きの太陽と呼ばれている。

この第五の時代は、

やがて運命の日に地震と飢えによって滅びることになっている。

  アステカの神話

「総解説 世界の神話伝説」

 

日本国の大疫病と大飢渇と同士討と

他国より攻められるのは総罰である。

  日蓮御書  聖人御難事

 

また法華経の行者を遣わし諌めても、

それがわからず、

かの法師等に心を合わせて世間の政道も出世間の法も破り、

法外に法華経の敵となったのである。

すでに時も過ぎ、この国はまさに破れようとしている。

疫病がすでに戦に先立っておこることも、その徴である。

あさまし、あさまし。

  日蓮御書  三沢鈔

 

そしてイエスのこの言葉の意味も分かってくる。

 

するとイエスは言われた。

「婚礼の客は、

花婿が花嫁が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。

しかし、花婿が奪いさられる日が来る。

その時には断食するであろう。

  聖書  マタイによる福音書 9章

 

本来の花婿(天使的未来人)が花嫁(婚約者である地球)から奪い去られる日、

地球人は、疫病が引き起こした飢饉によって断食しなければならないのだ。

実は、この疫病は、悪魔的未来人がばらまいた細菌兵器だったのだ。

 

三隻の船がアグドの港に入る

信仰ではなく 汚染と疫病をもたらす

橋を渡り百万を奪う

橋は第三の抵抗によって破壊される

  諸世紀8−21

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

スイスと隣国を通って

雲によって戦いにまき込まれ

エビ イナゴ 羽虫

ジェノアの過失は まるはだかで明らかにされる

  諸世紀5−85

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

アウソニアの平原 肥沃かつ広大

アブとイナゴをおびただしく生み出す

だから陽光が覆いかくされるだろう

奴らは何もかもくいつくすから

未曾有の疫病に見舞われるだろう

  諸世紀4−48

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

船(UFO)によって疫病がもたらされるのである。雲(UFO)によって戦い(戦争)に巻き込まれるのだ。そしてここに出てくる全てを食い尽くすイナゴも疫病と飢饉の象徴である。そしてこのイナゴは、黙示録にも登場しこう記されている。

 

彼らは底知れぬ所の使を王にいただいており、

その名をヘブル語でアパドンと言い、

ギリシア語ではアポルオンと言う。

  聖書  ヨハネの黙示録 9章

 

やはりイナゴ、すなわち疫病と飢饉は、底知れぬ所の王、悪魔的未来人がばらまいたのである。

彼らは地震活動、火山活動が活発になる時を狙って疫病をばらまいたのだ。だからイエスが終わりの日には大地震が起こると言っているのだ。そしてコーランにもこう記されている。

 

人間どもよ、汝らの主を懼れよ。まこと、

かの時(天地終末)に起る地震は恐ろしいもの。

  コーラン  巡礼

 

また、悪魔が千年の監禁から解放され再びロシア(ゴグ、マゴグ)を惑わし戦いに招集するとも記されている。どうもこの戦争は悪魔に惑わされたロシアが北から攻めて来ることから始まるらしい。

 

千年の期間が終ると、

サタンは獄から解放される。

そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、

すなわちゴグ、マゴグを惑わし、

彼らを戦いのために招集する。

その数は、海の砂のように多い。

  聖書  ヨハネの黙示録 20章

 

以前にお話ししたロシアが北から攻めて来るという表現は実に三重の意味を含んでいたのだ。

 

不要人類抹殺計画に惑わされたロシアが北から攻め寄せたこと。

北(未来)から悪魔が攻め寄せたこと。

そして解放された悪魔の戦略(疫病、飢饉)に惑わされたロシアが北から攻め寄せること。

 

とにかく疫病、飢饉、戦争で地上の人間の三分のニ以上が死に絶えた時である、親切な宇宙人が油(石油)と小麦(食糧)を持って宇宙から降りてくるのである、もちろん特効薬も持って。

しかし生き残った者全員に本物の特効薬が、与えられるのではないようである。彼らにとって不要な者には偽の特効薬が与えられ、見殺しにされるのだ。結局、生き残る者は、全体の四分の一くらいであろう。

 

それで人々は飢餓がやってくると考えた

ほんとうにやってくるだろう

がんこでどん欲さを通した海の目は

油と小麦をたがいに与えるだろう

  諸世紀4-15

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

もちろん上の「がんこでどん欲さを通した海の目」とは悪魔的未来人を指すものである。あのフリーメーソンのシンボルマークを思い出して欲しい。ピラミッドの 頂点に輝く神の目である。この目はフリーメーソンだけでなく、その子孫である天使も悪魔も意味しているようである。だから古代エジプトの太陽神ラーも裁き の神オシリスもその意味は、天空の目なのである。

 

世界は終末に近づいて

サタンはなかなかあともどりせず

帝国は黒い国民に変わり

ナルボンヌは彼の目をえぐりとるだろう

  諸世紀3−92

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

だからノストラダムスは、悪魔を退治することを「目をえぐりとる」と表現しているのだ。

この場合はがんこでどん欲な宇宙の海の目(悪魔的未来人)が、石油と食糧を地球人に与えたと言う意味である。そして地球人は彼らの頭脳プレイにころっとだまされ、彼らを恩人だと思い込んでしまったのだ。

 

そこで、イエスが言われた、

異邦の王たちはその民の上に君臨し、

また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。

しかし、あなたがたは、そうであってはならない。

  聖書  ルカによる福音書  22章

 

そして彼らは地球人の体にマイクロチップを埋め込み、支配体制が整うと地球人を奴隷にしてしまうのだ。

 

ながい戦いで軍のすべてはかわき それで兵隊は立ちあがる

だがお金をみつけることもなく 金銀の代わりになめし皮に押し

フランスの貨幣は三日月のしるし(sign croissant)を刻まれる

   諸世紀7−25

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

飢饉との長い戦いで軍隊はかわき、兵隊が立ち上がり戦争を引き起こす

戦争の後、お金はどこにも見つからない、貨幣という制度は無くなってしまうのだ

金銀の貨幣の代わりに皮膚の上にマイクロチップが押し込まれる

この新しい貨幣制度ができるのは、croix(十字架)のサイン、グランドクロスが現れるころである

 

兄弟姉妹がいろいろな場所で

奴隷のように働かされている

君主の近くをよぎるだろう

二つの注意深い目でかれらを見あげ

あご ひたい 鼻をしるしにして 重々しく進むだろう

  諸世紀2-20

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

別々の地で囚われの身となった兄弟姉妹

自身たちが君主の前を通り過ぎるのを知るだろう

その子孫が思いやりのある眼で見つめ

彼らの顎 額 鼻についた 徴候を見て不快を催すだろう

   諸世紀2−20

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

それで彼らの額といわず、横腹といわず、背中と言わず、

焼印が押されるその日、

「これが貯め込んだ(財宝じゃ)。さ、自分の貯めたもの、遠慮なく味わうがよい。」

   コーラン 改悛

空中携挙は約束通り実行されるだろう。そして預言どおり疫病が発生し彼らの侵略が始まる。浅利氏が言う、地上に残された人々には救いはないのかもしれないと。

でも、私はまだ救いがあると信じたい。だからすぐ地球人全体として、天使を呼び戻すのです。

もし、それが駄目ならば、ひとりひとりが彼らを受け入れ、さらなる携挙を願うしかないと。

後は天使の慈悲を信じるしかない。疫病がいつ始まるか、10月か、、翌年の7月か、それも悪魔が決めることであり、こちらの動き方で変わるのも当然である。

とにかくUFOでの携挙を見たら、すぐにも悔い改め、彼らを受け入れに協力して欲しいのだ。


 

そしてもう一つお願いしたい事があります。彼ら天使たちは非常にデリケートな生命体です。彼らが簡単にこの地上に降りて来れないのは、地球人の粗雑な波動に 耐えられないということもあるのです。あなたがたは神々です。この世、この宇宙を造ったのもあなたがたの心です。ジェームス・アレン、ラルフ・エマーソ ン、アンドリュー・カーネギー、ナポレオン・ヒル、ジョセフ・マーフィー、ディ−ル・カーネギー、ロバート・シラー、ノーマン・ピール、中村天風、、、、、、、、が言うように心には偉大なる力、創造力があります。この宇宙を造った神の偉大なる創造力はあなたの生命の中でまだ活き続けているので す。あなたの運命を決定しているのは他の誰でもなくあなたの心です。心をコントロールしないことは真剣を振り回すのと同じくらい、いやそれ以上に危険なこ となのです。だからプラス思考、積極思考を身につけて下さい。私もこれらのことをこの数年学ばされ、なんとか今日まで活きてくることができました。

 

 

 

闇と光の戦いは大規模で、

古い時代から続いており、

いまも新たに展開している

しかし、遠い未来では光がすべてとなり、

暗黒はくずれさることを知るがいい

人類がふたたび海洋を征服し、

鳥のような翼で空を飛ぶ時、

電光を利用することを学ぶ時、

その戦いは始まるだろう

闇と光との戦いは大となる

地球を破壊する暗黒の力を用いて、

国と国とが対立して蜂起する

それらの王の兵器は、

人類の半数が絶えるまで大地を一掃するだろう

  第三のエメラルドタブレット

 

 

 

フリーメーソン・イルミナティ への手紙

 

どうかあなたがたを非難するために私が本書を書いたのではないことをご理解ください。

イエスたちが何者かを証明するためには、どうしてもあなたがたのことを書かざるをえなかったのです。聖書のメインテーマは告白と贖罪ですよね。

それにあなたがたは世界を救うためにあのようなことをしたのですよね。

 

また、別の御使が

金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。

       中略

御使はその香炉をとり、

これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。

すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、

いなずまと、地震が起こった。

       中略

また、わたしが見ていると、

一羽の大きなわしが中空を飛び、

大きな声でこう言うのを聞いた、

「わざわいだ、わざわいだ、

地に住む人々はわざわいだ

なお三人の御使が

ラッパを吹き鳴らそうとしている」。

  聖書  ヨハネの黙示録  8章

 

あの時点ではああする以外なかったのです。もしあの時点であのようなことをしなくても人類は自滅していたでしょう。すべては人間の教育役、天使と悪魔を産み 出し、我々の時間の世界にあのような愚かな行為をさせないためだったのです。我々の時間の世界を第二、第三のソドムやゴモラにさせないためだったのです。

 

もし、万軍の主が、

われわれに少しの生存者を残さなかったなら、

われわれはソドムのようになり、

ゴモラと同じようになったであろう。

  聖書  イザヤ書  1章

 

だれもあなたがたを責めることはできないのです。もしあなたがたが責められるのであれば、天使も責められるべきなのです。と言うのは天使が我々の世界に干渉 してきたことによって、我々の時間の世界は元の世界とまったく違ったものになっているはずです。宗教を創ったことによって科学技術もずいぶんと遅れたはず です。しかし不要人類抹殺計画、すなわちスペースシャトル計画、宇宙ステーション計画、SDI計画がなくなってしまっては困る。これがなければ彼ら天使の 正体を説明することは不可能なのだから。そこでキリスト教と言う宗教を創り、聖書をあなたがたへの指令書としたのです。あなたがたは聖書に基づいて計画を 立てたはずです。我々の時間の世界であなたがたにそれをしろと命じたのは天使たちなのです。確かにあなたがたは神の代理人だったのです。

しかし、疫病、飢饉、戦争で地上が覆われ、あの貪欲な海の目、黒い悪魔が食糧と石油を持って降りて来た時、そうとは知らないあなたがたは、彼らを恩人だと思い彼らと手を組んでしまった。

 

ある日 二人の主人が友人になり

かれらの力は増大して

新しい国は隆盛をきわめるだろう

多くの人々は残忍に語るだろう

   諸世紀 2-89

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

確かに一時的には(サタンの統治による)黄金時代が来た。しかし彼らはあなたたちにも、人類全体にも何も与えなかった。

 

第三の者が第一に ネロ顔負けの悪事を働く

行け 流れろ 勇敢なる人間の血

かまどが造りなされよう

黄金時代  つぎに死

あらたなる王と目を覆わしむる醜聞

 諸世紀9-17

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

殺害をし姦通をして有名になる

全人類の敵

こんな祖父 おじ 父を 悪くする者はみたことがない

鉄 水 血と 不人情さで

  諸世紀10-10

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

いや、スペースコロニー人口削減計画を実行したのも、悪魔と手を組んだのもあなたがたではないかもしれない。


マルセイユは住民を一新し、
リヨンの近くまで侵攻と追撃があらん。
ナルボンヌ、トゥールーズはボルドーに荒廃させられ、ほぼ百万人の捕らわれ人が殺戮され。

諸世紀1-72

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

宗教を造ることで、歴史は一変したのだ。そこに住む住民も一新したのである。あなたがただけが変わらないというはずがない。

あなたがたの組織を造って残したのは、天使である。天使は、自分たちの出生を明らかにするために、あなたがたの組織を残したのだ。当然、住民も一新したのだから、組織名や名前は同じかもしれないが、あなたがたのメンバーも別人であろう。

いや、時がきたら彼ら天使の計画に協力してもらうためにあなたがたの組織を造ったのであろう。

 

どうか、あなたたちの神イエスキリストと天使に協力して、この世界を救っていただけないでしょうか。

 

勝利へのカギは、あなたがたと手を握ることであるとまで言っているのです。あなたがたの本当の名は、光、イルミナティー、、、光の天使ルシファー、明けの明星です。

 

もう堕天使などにはなってはいけません。明けの明星の本当の意味は人類の希望の星、救世主と言う意味です。だからユダヤ教のマークはダビデの星、六芒星なのです。あなたがたにはあなたがたの主、偉大なる大工イエス・キリストと伴に新たなる啓明の光で世を照らし世界の再建をして、あなたがたの悲願である自由と 平等と博愛に満ちたワン ワールドを建設する権利があるのです。

 

なぜならばあなたがたはメ−ソン、石工、大工なのだから。

 

 

 

  

                        

             

     

 

    

             

               

真・如来滅後五五百歳始観心本尊抄−宗教者への手紙

 

 

 

 

 

 

 

どうかあなたがたの神や仏をぼうとくするために本書を書いたのではないことをご理解ください。あなたがたはそれが世のため人のためであると思い宗教を広めてきたのですよね。確かにそれはまったくの善意であり、それによって多くの人々が救われて来たのも事実なのです。

 

でも、「自分たちだけが正しい」、「自分たちが一番正しい」、「自分たちの宗教は特別だ」、「自分たちの宗教のみが救われる」、「自分たちの宗教指導者が一 番偉いんだ、だからその弟子である自分たちも偉いんだ」「他の神を拝む者は地獄に落ちる」、「その宗教をやめたら地獄に落ちる、バチが当たる」、「その宗 教のための布教をしないと救われない、布教するとご利益がもらえる」などと教えを説く宗教、宗派、教団も多いのです。もちろん弱き仲間の力になることは、 尊いことですが。

 

一部のキリスト教にしてもそうです。イエス・キリストを受け入れる者はすべて救われるならまだ分かるが、自分たちの教団だけが正 しいのだから世界の終わりには自分たちの教団だけが天の神に救われると言う。仮にそうだったとしても、地上に残され地獄の火で焼かれる人々を見て、あの人 たちは自分たちがこんなに一生懸命布教してやったのに自分たちの教団に入り自分たちの神を信じなかったから悪いのだとでも言うのだろうか。

 

あなたがたの信仰は普遍的な神(この宇宙を創造した大生命)への信仰ではなく、教団のための信仰になっていませんか。同じ教団に属していても色々な人間がいることぐらいあなたがたが一番ご存知ではないのですか。属している組織で人間の価値が決まるものではありませんよね。

こ れはキリスト教だけの話ではない。一部の仏教についても同じことが言える。自分たちの教団だけが正しくて、自分たちの方法だけが前世のカルマ(業、宿業) を消し去り幸福になる唯一の方法だと信じている。それだけではない。自分たちの教団だけが正しいのだから教団のために布教したり奉仕したりすればご利益が もらえる(教団のために布教や奉仕をしないとご利益がもらえない)と説く。そこで自分たちの宗教で他人も幸福にしてやろうと人を見たら布教することしか考 えていない、善意と慢心(上増慢)を持って。しかも自分たちが時代錯誤のことをしていることさえ気づかずに。人間とは人に救われるより、人を救っているの だと思う時、プライドがくすぐられるものなのです。

 

これがいきすぎるとテレビのニュースで見た不幸な人に対して「しょうがないねえ、前世のカルマがあるのだから」などという言葉も出てしまう、、、、あたかもその人が自分たちの教団に入っていないことが悪いかのように。

さ らに進むと自分たちの教団に入らないと幸福にはなれない、不幸になると言うような者まで現れる。さらにさらにいく所までいくと、布教のために多少の無理を してもいいんだ、自分たちの教団に入れば結局その人も幸福になるのだからなどと考える者まで出るしまつ、、、、、。彼らは自分の幸福のために、宗教、宗 派、教団に同胞を『生贄』『供え物』として捧げていることさえ気づいてさえいないのだ。

 

あなたがたは布教のために人間関係を悪くしたり友人を失ったり悲しい思いをしたことはありませんか。あなたがたも悲しかったかもしれませんが、あなたがたのまわりの人間も友人も同じくらい悲しい思いをしたのです。

 

あなたがたは、わざわいである。

ひとりの改宗者をつくるために、海と陸を巡り歩く。

そして、つくったなら、

彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。

  聖書  マタイによる福音書   23章

 

また、同じ宗祖を持ち同じ呪文を唱える他の教団の発展を喜びそうなものだがそうはならない。あの教団はここが間違っているのだとささいな違いを取り上げて自 分たちの教団だけが正しい一番優れていると説き、近いものであればあるほど激しく噛み合い憎み合う、、、、、、、、、、、、、。同じ仏を信じ同じ呪文を唱 える者はみな救われると言うのならまだ分かるのだが。

 

「光の中にいる」と言いながら、

その兄弟を憎む者は、

今なお、やみの中にいるのである。

  聖書  ヨハネの第一の手紙  2章

 

「彼、われをののしり  

彼、われをうちたり  

彼、われをうちまかし  

彼、われをうばえり」

かくのごとくこころ執せざる人々こそ 

ついにうらみの止息をみん

 法句経−4

「石仏法句経」 友松圓諦 訳、山本敏雄 編

 

はたして神の愛、宇宙の愛とはそんなちっぽけなものでしょうか。この宇宙を創造した神や仏ならばすべての人を救いうる計画を立てるはずです。それは神が最も嫌う選民思想です。

 

「これ、使徒たち、(ここにある)美味いもの、

遠慮なく食うがよい。

義しいことを行えよ。

お前らのすることは、

わしが何から何まで知っている。

それからお前たちの宗団だが、

これはただ一つの(宗派別のない)宗団。

そしてわしがお前らの主、

わしを畏れかしこめよ。」

それなのに、

彼ら仲間割れを起こしてばらばらになり、

宗派ごとにそれぞれ自分のが

一番いいと思いこんでいる。

ま、当分のあいだ、

あのまま迷いの深みに放っておくがよい。

  コーラン  信仰者

 

彼らに言わせれば、

「ユダヤ教徒とキリスト教徒以外の者は、

絶対に楽園に入れて戴けない」と言うが、

言ってやれ、

「それならその証拠を出して見せるがよい」と。

   コーラン  牡牛

 

実は、選民思想のユダヤ教とはユダヤ人の宗教を意味するものではないのです。それは現代の宗教のあり方の譬えなのです。

 

「自分たちだけが正しい」とする選民思想を持ち、同胞を『生贄』として神に捧げ、天からイエスが再臨してもイエスをイエスとは認めない、シャカたちが巨大宝 塔、天の花、空中楼閣に乗って帰ってきてもシャカをシャカとは認めない。これがユダヤ教です。だからイエスを裏切った者の名はユダなのです。ユダとは、 ちっぽけな欲のためにイエスを裏切るユダヤ教のことなのです。

 

不毛のユダヤ教会はみのりなく

無信仰者に受け入れられるだろう

バビロンでしいたげられた娘は

あわれで悲しく髪を切る

  諸世紀8−96

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

そしてペニスに切れ込みを入れるユダヤ教の習慣、割礼とは、ユダヤ人を神に選ばれた選民の譬えと考えれば心に刻む神の印、神の戒めの譬えなのです。日蓮の言う本門の戒壇です。 

 

                                                                                                                                                    

 

あの黙示録の日の出る方から上って来る御使が持っていた神の印なのです。

 

それゆえ、あなたがたは心に

割礼をおこない強情であってはならない。

  聖書 申命記  10章

 

また、文字によらず霊による心の割礼

こそ割礼であって、

そのほまれは人からでなく、

神から来るのである。

  聖書  ローマ人への手紙  2章

 

しかしユダヤ人をイエスやシャカそして真の唯一の神を認めない選民思想の持ち主の譬えと考えれば、割礼とはそのような者の体に悪魔が刻む666のマイクロチップ、獣の刻印の譬えなのです。ここでも預言は二重構造になっていたのです。

また、小乗仏教とは南伝仏教のことを言うのではありません。小乗仏教とは自分達だけが正しいとするその狭い了見を言うのです。

さ らに言わせてもらえば、あなたがたは自分たちの教団に属していない者を心のどこかで哀れな者だと差別していませんか。その自分たちの教団だけが真理であり 他を低い者として差別するその姿こそ、僧侶階級が真理を独占し他の者を差別する古代バラモン教に起こり現在もヒンズー教に根強く残るカースト制度そのもの ではないですか。あなたがたはそうであってはならない。

 

わたしを憎む者は、

わたしの父をも憎む。

もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、

わたしが彼らの間でしなかったならば、

彼らは罪を犯さないですんだであろう。

しかし事実、彼らはわたしとわたしの父を見て、

憎んだのである。

『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と

書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。

  聖書  ヨハネによる福音書  15章

 

あなたがたはイエスやシャカの本当の姿を見て彼らを憎んではならない。確かに嘘をついたのは、だまして取り違いをさせたのは彼ら天使たちの方だ。でも、それ もこれもみんなが幸福になるために方便という手段を使わざるをえなかったからなのです。あなたたちの気持ちはよく分かる。ここ数年私はあなたたちの気持ち を勉強させられてきました。あなたがたがいかに自分の宗教を大切に思っているかを勉強させられてきました。

 

私はこの説この思想を捨てようとしました。しか しそうはいかない仕組みになっていた。苦しみの中で学びました、宗教を持っていようとなかろうとどんな人間も神(潜在意識とそれにつながる万物が共有する 宇宙意識)が導いていることを、そしてすでに我々人間には無限の力が与えられていることを。なんと呼ぼうとその呼び名は問題ではありません。宇宙意識は自 分自身の霊を刻んで宇宙のすべてのものを造った(万物斉同)。それだけではない。ありがたいことにその最も高いその神の性質(神性、仏性)を人間に与えた のだ。我々には他にない想像力と言葉そして無限の創造力が与えられたのだ(一切衆生悉有仏性、一切衆生有仏性、如来蔵)。人間こそ万物の霊長、神なので す。

 

宇宙はつながりであり、我々が心に思い続けていることは潜在意識に達しやがて万物が共有する宇宙意識にまで達しその思いを実現するのです(唯 心所現)。万物を生み出した宇宙の大生命と我々の生命は同質なので、我々の思いは世界の万物に伝わり思いを実現するのです(一即多、多即一)。

 

父なる神、神の子なる人間、その聖なる霊は不可分で一体であり、神の霊である我々の生命の思いは、父なる神、大宇宙に伝わりそれを実現するのです。

だからこそ心の持ち方が大切なのです。心こそ我々の生命と宇宙の大生命をつなぐチャンネルなのです。よいことを思い続ければよいことが起こり、悪いことを思 い続ければ悪いことが起こる。これはなにも特別に修行をした人間だけが持つ力ではありません。思考が人生を創るのです。

 

世の中にはいろいろな修行法があり ます。密教、ヨガ、気功(チャクラ、クンダリーニ、大周天、小周天)。いずれも生命エネルギーを増幅して願望を達成する力を強くするための補助的なものに すぎません。その修行法に悟りのプロセスがあるのではないのです。やはり大切なのは心の持ち方、心を常に積極にプラスに保つことであり、極端な修行、苦行 はやりたければしてもいいのだが、特別に必要なものではないのです(中道)。もしマイナス思考の人間がこんなものをやったならば、ものすごい勢いでマイナ スのものを引き寄せてしまうでしょう。またそんな難しい修行などしなくてもただ祈ったり言葉や教典を唱えたりするだけでも、変性意識状態となりかなり強い 思念波が発生するようです。祈りとは思考の集中形態なのです。

 

しかしその思念波はあなたが祈ったり拝んだりする偶像や幻想の神仏から出ているのではありません。あなた自身から出ているのです。人間こそが聖なる者なのです。

今 まで神や仏の力だと思っていたものはあなた自身の力だったのです。キリスト教、ユダヤ教そしてイスラム教が強烈な一神教なのは、これだけの仕事をした天使 たちを認めて欲しいということと、神である自分自身に気づきなさいということなのでしょう。

 

 

神や仏を尊び感謝することは決して悪いことではありません。いや、素晴らしいことてす、この宇宙のすべてが神や仏の 現れであり、神や仏に守られていると信じることはの最高のプラスイメージであるのだから。この点においては、あなたがた宗教者の感謝に満ちた生活に宗教を 持たない人々は見習うべきだと思います。

しかし自分たちの宗教、宗派、教団の形式だけにこだわるのは止めて、自分自身を知り、大宇宙の心の法則(ダルマ、神の摂理)に従って強く活きなさいと言っているのです(自灯明 法灯明)。

拝みたかったら何を拝んでもいいのです。だが、「自分たちだけが正しい」「これをやめたら地獄に落ちる、バチがあたる」とかつまらない選民思想は捨てて、それが誰にも等しく与えられた自分自身の力であり、自分達の信仰は人間の中にある偉大なる力を崇め積極思考をするための一つの型にすぎず、大切なことは心の 持ち方であるということはしっかりわきまえなければなりません。

 

結局、彼らの言いたいことは、この宇宙の森羅万象は一つとして単独で存在するので はなくすべてが宇宙意識の現われであり(諸法無我)、そして人間にはすべてを乗り越えるその宇宙の最も強い力が与えられている、だから何も恐れずその力を 自覚して強く活きなさいということではないでしょうか。

 

人間の生命は

常に見えざる宇宙霊の力に包まれている。

したがって宇宙霊のもつ万能の力もまた、

我が生命の中に当然存在しているのである。

ゆえに、いかなる場合にもまたいかなることにも、

怖れることなく また失望する必要はない。

否この真理と事実とを絶対に信じ、

恒に高潔なる理想を心に抱くことを努めよう。

さすれば 宇宙真理の当然の帰結として、

必ずや完全なる人生が作為される。

今ここにこの天理を自覚した私は、

何という恵まれた人間であろう。

否 真実 至幸至福というべきである。

したがって ただこの上は無限の感謝をもって

この真理の中に安住するのみである。

    中村天風 理想の誦句

「天風瞑想録 運命を拓く」  中村天風 著

 

よく宗教で言う不成仏霊、カルマ(業、宿業)、地獄などを恐れてはいけません。人間とは神の霊と道具である肉体が合体した最高の生命形態です。積極思考をす る高い波動の人間には悪い霊は近づいてこれないはずです。いや、あなたが積極思考をすれば、迷っている霊さえそのエネルギー、波動を受けて浄化され救われ るのです。死んだ霊よりも肉体を持った霊、生きている人間の方がはるかにエネルギーが高いのです。

またカルマも前世から引きずって来た未熟な心の癖にすぎないのです。そしてその原理も簡単です。

 

個人の潜在意識であるアラヤ識に貯えられたマイナスの意識が万物が共有する宇宙意識である仏識(集合的無意識)に浸透し実現するだけのことです。

( 注  アラヤ識は仏識の一部であり、アラヤ識と仏識は同質なので両者を区別せずまとめてアラヤ識と表現する場合もある。)

 

我れ昔より造りし所の諸々の悪業は

みな無始の貪瞋痴による

身口意より生ずる所なり

一切を我れ今皆懺悔したてまつる

  懺悔文

「お経 禅宗」 桜井 秀雄、鎌田 茂雄 著

 

逆を返せばマイナス意識がない所には、絶対的なマイナスの事態は起こりえないのです。薪のない所には、火は燃え盛らないのです。いや、事あるのが人生であ る。たとえマイナスの事態が起こったとしても、心の持ち方次第でそれをプラスの事態へと変えることができるのです。あんなことがあったからこそ今の幸福が あるのだと言えるようになるのです。そしてその試練を乗り越えることで自分の魂を進化向上させることができるのです。苦しみの泥沼の中で光を求め戦った人 生ほど大輪の妙なる蓮の華を咲かせることができるのではないでしょうか。

 

実はご利益もバチも、天国も地獄も我々の心が創っていたのです。たとえ今がどんなに厳しい状態でも心を積極にプラスに持ち続ければ、この世界には変化しない ものは何一つないのだから(諸行無常)、必ずすべてはよい方へ変わっていくのです。もうそろそろあなた自身に気づいてあげてもよいころではないでしょうか。

 

この時こそ地涌千界の菩薩が

出現して本門の釈迦の脇士となり、

一閻浮提第一の本尊が

この国に立つのである。

日蓮御書  如来滅後五五百歳始観心本尊抄

 

日蓮が、如来滅後五五百歳始観心本尊抄でシャカ如来入滅から第五の五百年、約2500年後にこの日本に立つと預言した本尊こそあなた自身、あなたの生命、 霊、魂、心なのです。実は、宗教、宗派、教団によって様々である偶像、曼荼羅、聖人などの今までの崇拝の対象は、仮の本尊(迹門の本尊)にすぎなかったの です。あなたの生命、霊、魂と宇宙の大生命をつなぐチャンネルである心こそ凡夫の一念三千世界の理による本当の本尊(本門の本尊)だったのです。すべての 宗教、宗派、教団に共通する真の本尊だったのです。

 

この三千(の世界)は、

一念の心に在り。

もし心なくんば、すべてなし。

いささかでも心あれば、

すなわち、三千(の世界)を具す。

ゆえに、称して不可思議となす。

意ここにあり」と。

  日蓮御書  如来滅後五五百歳始観心本尊抄

 

毘盧遮那如来の依報も

正報も凡夫の一念のなかにある

  日蓮御書  諸法実相鈔

 

 

地獄と仏とはいづれの所に候ぞ

とたずね候へば、

或は地の下と申す経もあり、

或は西方等と申す経も候。

しかれども委細にたづね候えば、

我等が五尺の身の内に候とみえて候、

 

仏と申す事も

我等の心の内にをはします

日蓮御書  十字御書

「日蓮大聖人御書全集」

 

仏は、我等が身の内、心の内にあるのです。これはなにも日蓮だけが言っているのではないのです。臨済宗の栄西もこの心の偉大さを歌に残しています。

 

大いなる哉、心や。

天の高きは極むべからず、

しかるに心は天の上に出づ。

地の厚きは測るべからず、

しかるに心は地の下に出づ。

日月の光はこゆべからず、

しかるに心は、日月光明の表に出づ。

大千沙界は窮むべからず、

しかるに心は大千沙界の外に出づ。

それ太虚か、それ元気か、

心はすなはち太虚を包んで、

元気を孕むものなり。

天地は我れを待って覆載し、

日月は我れを待って運行し、

四時は我れを待って変化し、

万物は我れを待って発生す。

大なる哉、心や。             

  興禅護国論の序  栄西

 

また曹洞宗の道元も「即心是仏」と言っています。さらに阿弥陀信仰でも「唯心の弥陀」、やはり阿弥陀仏も我々の心のことだったのです。阿弥陀信仰は「長生不死の神方」であると言った親鸞の浄土真宗の教典、観無量寿経にもこう書かれているではないですか。

 

この心が仏を作り、

この心がそのまま仏なのだ。

智慧海のごときもろもろの仏たちは

心想から生ずる。

観無量寿経

「浄土三部経(下)」 中村元、早島鏡正、紀野一義 訳注

 

末法の時代すなわちシャカ如来滅後第五の五百歳、シャカの正体が始めてあかされた今こそ、本尊である自分自身の心のあり方を観直さなければならない時が来たのです。

 

仏教の開祖シャカも苦しみから解脱する真理を説いているではないですか。苦集滅道。なぜ人生は苦しみに満ちているのだろうか(一切皆苦)。それは人生とは喜 びであり生命とは何ものにも打ち勝つ強い力の結晶であることも知らず、我々の心が苦しみにとらわれ苦しみを引き寄せ集めているからだ。その苦しみを滅し光 輝く絶対安心の境地(涅槃寂静)に達する方法がある。これがその道だ。その道、方法とは八正道である。

 

八正道とは、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定であるが、人が幸福に生きるためには、「心が因となり、縁を得て、果を生じる」というダルマを見て、思い、行い、言葉を正すことに、命あるかぎり精進し、潜在意識を清め、心を安定させることである。

 

空海の真言宗(真言密教)的に言えば、即我大日、もうひとりの自己、大日如来(大宇宙の 力)が自分の中に存在することを悟り、三密すなわち身(行動)、口(言葉)、意(心)すべてをプラスに積極に保ち人生の目的に立ち向かうことである。いや、大乗仏教的に言っても、身口意を正すことである。

 

すなわち、プラス思考をしつつ努力する ことである。プラス思考こそが、人間の持つ偉大な能力をコントロールし運命をも自由自在にコントロールする力、仏教最大の神通力といわれる漏尽通を得て即 身成仏する方法だったのです。大切なことは、シャカがその愚かな弟子シュリハンドク(修利盤特)に悟らせたように心を掃除することで充分なのです。

 

日本神道的に言っても、心の穢れ (マイナス意識)を禊ぎ祓い (洗い清め)、清明心を持つだけでよいのです。これこそがキリスト教の本当の洗礼、すなわち洗霊、心の内側を洗い清めることだったのだ。

 

                   

   

偽善な律法学者、パリサイ人よ。

あなたがたは、わざわいである。

あなたがたは、貪欲と放縦とで満ちている。

盲目なパリサイ人よ。

まず、杯の内側をきよめるがよい。

そうすれば、外側も清くなるのである。

  聖書  マタイによる福音書  23章

 

真理とは特別のことではなく人間としてすべき当たり前のことだったのです。シャカ直説の仏教教典、法句経の冒頭にもこう記されているではないですか。

 

すべてのものは、みな心を先とし、

心を主とし、心から成っている。

汚れた心でものを言い、また身で行うと、

苦しみがその人に従うのは、

ちょうど牽く牛に車が

従うようなものである。

しかし、もし善い心でものを言い、

または身で行うと、

楽しみがその人に従うのは影が

形に添うようなものである。

法句経−1〜2

「仏教聖典」

 

あなたがたは宗教という方便の教えの中で積極思考、プラス思考を身につけているはずです。神や仏に自分が守られているんだと信じることで、本当に宇宙の根元の至高の力に守られてきたのです。

 

一念三千を識らない者には、仏、大慈悲をおこして、

妙法蓮華経の五字のうちにこの珠につつみ末代の幼稚な衆生の頚にかけさしめたもうたのである。

  日蓮御書  如来滅後五五百歳始観心本尊抄

 

平凡な人間の思いの中に全世界が含まれる。すなわち平凡な人間の思いがこの世界を造っているのだ、だから我々が心に思い続けていることはこの世界に伝わるの だ。平凡な人間の思いにこの世界が感応するのだという凡夫の一念三千世界の理を知らない我々に心優しい未来人(仏)が、宗教という方便に包んで手渡してく れていたのだ。そしてこの我々の生命の中にあるこの偉大な力、仏性こそ、我々がそうとは知らずに持っていた宝の珠、法華経の宝珠のもう一つの意味だっの だ。

 

衆生本来仏なり 

水と氷のごとくにて

水を離れて氷なく 

衆生の外に仏なし

衆生近くを知らずして 

遠く求むるはかなさよ

たとえば水の中にいて 

渇を叫ぶがごとくなり

長者の家の子となりて 

貧里に迷うに異ならず

  白隠禅師坐禅和讃

「お経 禅宗」 桜井 秀雄、鎌田 茂雄 著

 

また、神が人に与えたというキリスト教の自由意志もこの偉大な力のことであったのだ。

 

求めよ、そうすれば、

与えられるであろう、

捜せ、そうすれば、

見いだすであろう。

門をたたけ、そうすれば、

あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見出し、

門をたたく者はあけてもらえるからである。

  聖書  マタイによる福音書 7章

 

で も今は宇宙意識が用意した目覚めの時、悟りの時、自分自身を理解し他者の信仰も自分たちのものと同じであったのだと理解しなければならない時なのです。永 遠の生命を得て輪廻転生から解脱する時なのです。キリスト教やイスラム教だけでなく仏教の多くの教典にも、不死の法門であると書かれているではないです か。プラス思考、積極思考を身につけ生の苦しみを乗り越え、永遠の生命を得て老化、病気、死を乗り越える時なのです、生老病死を超越する時なのです。

 

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教的に言えば、死者が墓から出て裁かれるという最後の審判の時なのです。輪廻転生を繰り返して人間修行をしてきた魂が最後の審判を受けて永遠の生命に至る時なのです。ここが輪廻転生の終着点なのです。

 

また、地のちりの中に眠っている者のうち、

多くの者は目をさますでしょう。

そのうち永遠の生命にいたる者もあり、

また恥と、限りない恥辱をうける者もあるでしょう。

賢い者は、大空の輝きのように輝き、

また多くの人を義に導く者は、

星のようになって永遠にいたるでしょう。

  聖書  ダニエル書 12章

 

大きな数の七がすぎて

そのとき大殺戮があらわれる

それは千年期から それほどはなれていないときに

埋葬された人が墓からでてくるだろう

 諸世紀10−74

「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳

 

京都の太秦にある蚕の社に三柱鳥居という奇妙な鳥居があるそうです。しかもこの神社では一般の神社では、あまりに畏れ多くてほとんどお祭りしない日本の唯一神とも言える天之御中主神をお祭りしているそうです。

 

 

 

 

 

 

その三柱鳥居は三本の柱で鳥居が構成されていて、三つのどの方向から礼拝しても一つの地点を見つめることになります。世界の三大宗教は、いや、すべての宗教 は、一つの真理を見つめていたのです。それは唯一の神すなわち我々の生命がその一部分であるこの宇宙を創造した無限の宇宙意識です。あなたの宗教の神や仏 とは、これではないのですか。

 

 

このように、たえず自己の実修を行い、

罪障を脱した実修者は、

ブラフマンとの合一という無上の幸福を

たやすく享受する。

実修により自己を修練し、

すべてを平等に見る者は、

一切万物のなかにある自己を見、

また自己のなかに一切万物を見る。

  バカヴァッド・ギーター

 

わたしは一切万物の原初の種子であると知れ。

わたしは、理性ある者の理性であり、輝く者の光輝である。

           中略

惑わされて、この全世界は、

これらよりもすぐれて不滅であるわたしを知らない。

なぜなら、神聖であり、

成分から成るわたしの幻力はこえがたいから。

わたしにのみ帰依する者がこの幻力をこえる。

さまざまな欲望によってその知を奪われた者は、

それぞれの(宗教的)規則をまもり、

(わたし以外の)他の神に帰依する。

いかなる信者がその信仰をもって、

いかなる神の身体を崇めようと願っても、

わたしは、それぞれの信者がもつ信仰を不動のものとする。

かの信者はこの信仰をそなえ、

その(神々のすがたをとるわたしの)身体を崇めようと願う。

しかも、わたしのみがかなえる願望を、

彼はそれ(身体の崇拝)から獲得する。

  バカヴァッド・ギーター

「バラモン教経典 原始仏典」 責任編集 長尾雅人

 

こころは巧みな画工のようなもので、

種々の五蘊をえがき、

あらゆる世界のうちに、

ものとして造らぬということはない。

ほとけも亦こころと等しく、

衆生もまたほとけとおなじい。

心と、仏と、衆生と、

この三つのものは無差別である。

諸仏はことごとく、

あらゆるものは心から起こると了承したまう。

もしよく斯のように解るならば、

その人はまことの仏をおがみたてまつるだろう。

こころ、身に住せず、身もまたこころに住しないで、

しかもよく仏事をなすこと、

自在であり、未曾有である。     

人もし三世一切のほとけを知ろうとおもうならば、

まさに斯のように観ずるがよい。

−「こころ、もろもろの如来をつくる」と。

華厳経  夜摩天宮菩薩説偈品

 

この三界はただ心のみである。

  華厳経  十地品

 

三界は虚妄であって、

ただ一心の所作である。

  華厳経  十地品

「ブッダの宇宙を語る 華厳経の世界 上」 竹村牧男 著

 

自分のものでありながら、

その実体を知りがたいのは、我が心である。

自分の心は小さく見えるけれども、

実は際限もなく広くまた大きいのである。

 

人がもし真理を知ろうとするならば、

常に自心の奥底を見よ。

そこに真理は豊かな光を放っている。

 

心はそのまま現象世界である。

現象は心を離れて有るものではない。

心の外に現象世界が有ると思うのは、

とらわれである。

 

人はそのからだの中に、

本来清らかな仏たるべき性質を備えている。

仏への道は遠くない。

唯、心の持ち方、考え方を変えればよいのである。

あらゆる存在は心の認識より始まる。

心を離れて万有は存在しない。

  空海

「弘法大師聖語撰抄」  中川善教 訳

 

いちばん重要な、最初の平和は、

人の魂のなかに生まれる。 

人間が宇宙やそのすべての力とのあいだに、

つながりや一体感を見いだせたとき、

その平和が生まれるのだ。

宇宙の中心にはワカンタンカが住まい、

しかもこの中心はいたるところにあって、

それはわしらひとりひとりの内部にもある、

と理解したときにな。

これこそが真実の平和なのだ。

  アメリカインディアン ブラック・エルク

「それでもあなたの道を行け」 ジョセフ・ブルチャック編  

 

天地に在りては神と云ひ 

万物に在りては霊と云ひ 

人に在りては心と云ふ 

心とは神なり 

故に神は天地の根元 

万物の霊性 

人倫の運命なり当に知る 

心は即ち神明の舎 

形は天地と同根たる事を

  祝詞  神道大意詞

 

天照皇太神の宣はく 

人は則ち天下の神物なり 

須らく静謐を掌るべし 

心は神明の本主たり 

心神を傷ましむること莫れ

        中略

天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり 

万物の霊と同体なるが故に 

為す所の願いとして成就せずといふことなし

  祝詞  六根清浄大祓

「神拝詞集」 

 

心は則ち理なり。

天下また心外の事、

心外の理あらんや。

 

人は天地の心にして、

天地万物は本吾が一体のものなり。

  王陽明

「陽明学 回天の思想」  守屋 洋

 

(注)  儒教(儒学)とは礼節を重んじどこまでも人格を向上させることで、

 

天に近づくことを選んだ哲学である。

朱子(朱喜)は、この宇宙の万物は一体であり「気」というエネルギーで構成されており、

この宇宙を動かす原理、法則である「理」が存在することに気づいた(理気二元論)。

それだけではなく我々の生命にその宇宙の原理「理」が宿っていることにも気づいたのである(性即理)。さらに王陽明は、「理」とは「気」の性質であること(理気一元論)、

我々の生命に宿っているのは理気だけではなく、宇宙の心である「良知(良心)」もまた宿っていること、そして心が生命である宇宙の原理である理気を動かしさらに宇宙をも動かすパワーがあること(心即理)を悟り、志を持った行いの大切さを主張した。ここに儒教はさらなる進化を遂げた。

 

物有り混成し、

天地に先だちて生ず。

寂たり寥たり、

独立して改めず、

周行して殆れず。

以て天下の母と為すべきも、

吾れ其の名を知らず。

之に字して道と曰い、

強いて之が名を為して大と曰う。

 

道は一を生じ、

一は二を生じ、

二は三を生じ、

三は万物を生ず。

  老子

「中国古典選11.老子」福永光司 著

 

天地ハ大ナリト雖モ、

其ノ化ハ均シ。

万物ハ多ナリト雖モ、

其ノ治(秩序)ハ一ナリ。

 

天地ハ我ト並ビ生ジ。

万物ハ我ト一ヲ為ス。

  荘子

「人と思想  荘子」 鈴木修次 著

 

そして、多くの神、

多くの主があるようではあるが、

わたしたちには、

父なる唯一の神のみがいますのである。

万物はこの神から出て、

わたしたちもこの神に帰する。

  聖書  コリント人への第一の手紙  8章

 

同一の主が万民の主であって、

彼を呼び求めるすべての人に

豊かに恵んで下さるからである。

なぜなら、

「主の御名を呼び求める者は、

すべて救われる」

とあるからである。

  聖書  ローマ人への手紙  10章

 

勿論、アッラーさえその気になり給えば、

汝らをただ一つの統一体にすることも

おできになったはず。

だが、汝らに(別々の啓示を)授けて

それで試みて見ようとの御心じゃ。

  コーラン  食卓

 

いろいろな宗団が現に守っている祭祀は

みなそれぞれに我らが設てやったもの

  コーラン  巡礼

 

我ら(アッラー)が彼らを全部一緒に召喚するその日、

(アッラーのほかに)沢山の邪神どもを崇拝したあの者どもに

「これ、汝らが盛んに言い張っていたあの汝らの仲間たち

(邪神たちのこと)はどこへ行った」

と訊いてやろうぞ。

この時こそ、さすがの彼らも、

「我らが主、アッラーに誓って申し上げます。

私たちは決してほかの神々なんか

信仰しておりませんでした」

とでも言うよりほか言い訳のしようはあるまい。

コーラン 家畜

 

やがて我らの遣わす者(死をつかさどる天使)が訪れて、

彼らを召す時、

「汝ら、アッラーをさしおいて

(ほかのものに)一生懸命祈っておったが、

そのものどもはどこにいるのか」と訊ねると、

「わしらをおきざりにして、

みんなどこかへ行ってしまいました」と言う。

すなわち、自分たちが無信仰者であったことを

自分から証言せねばならなくなる。

コーラン  胸壁

 

空想で造り上げていたもの(邪神たち)が

急に姿を消してしまった今となっては。

  コーラン  胸壁

 

また彼ら、自分たちの中から

警告者が出たというので吃驚し、

全然信仰心のない者どもに至っては、

「これはたしかに大山師の妖術つかいにちがいない。

何ということか、これほど沢山の神々を

たった一つの神に纏めてしまうとは。

いや、まったく恐れいる」などと言う。

そこで彼らの長老たちまで出馬して来て、

「さあさあ、みんな、

どこまでも自分の神々を守り通すんだぞ。

これはたしかに企みじゃ。

このようなこと今までの宗教では絶えて聞いたこともない。

だいいち、我らの間で人もあろうに、

あの男にお諭が下るとは」と触れて歩く。

実は、彼らはじめからわしのお諭を疑ってかかっておる。

なんと言うても未だわしの罰を味わったことがないから。

  コーラン  サード

 

かつてアッラーは予言者たちと

契約を結ばれたことがあった。

「わしは汝らに聖典と聖智を授けてやる。

だがその後で汝らのもとに一人の使徒が現れて、

汝らのもっている(聖典と聖智)を確証する場合、

汝らは間違いなく彼を信じ、かつ彼を援助する。」

  コーラン  イムーラン一家

 

今は彼らも(聖典)の解き明かしを待つほかなかろう。

だが解き明かしが来るその日(この世の終末の日)、

以前それを忘れていた人々も、

「なるほど、

神様のお使いの方々が言ったことはみな本当だった。中略」

などと言うことだろう。

  コーラン  胸壁

 

あまりに大きな知らせ(復活と最後の審判の告知)ゆえ、

それで意見が食い違う(やれ本当だ、やれ嘘だと論争している)。

いや、いや、いずれすっかり(事の真相が)わかるであろう。

いや、いや、いずれすっかりわかるであろう。

  コーラン  知らせ

 

あるいは深智と名づける光明をはなつ。

この光はあらゆるもろ人を呼びさまし、一つの法門において、

一念のうちに、量りなきもろもろの法門を残りなく解らしめる。

 華厳経  賢首菩薩品

「ブッダの宇宙を語る 華厳経の世界 上」 竹村牧男 著

 

尊く、大いなる約束が、

わたしたちに与えられている。

それは、あなたがたが、

世にある欲のために滅びることを免れ、

神の性質にあずかる者となるためである。

  聖書  ペテロの第二の手紙  1章

 

すべての宗教は一つの真理を見つめていたのです。宗教の違いは真理を見る角度の違いにすぎなかったのです。真理という象を暗闇の中でつかんで、象の異なった 体の部分をつかんだ者がそれぞれに象とはこんなものだと言い張っていたのだと、シャカはこの事実を表現しています。また聖書でも、バベルの塔が崩壊した 後、神は言葉を乱したと表現しています。

 

すべての宗教はしょせん信仰の型の違いでしかなく、直接的にまた間接的に人間の中にある唯一の神、偉大な 力を崇める型になっているはずです。型の違いではなく心のあり方にこだわるのが本当の信仰ではないでしょうか。信仰の型、形式、儀式、祭式にこだわること は信仰ではなく魔術です。

 

 

実は出エジプト記とは不要人類抹殺計画だけの譬えではないのです、奴隷にされていた神の民を解放するUFOによる空中携挙の譬えでもあるのです。

 

その出エジプト記の中でイスラエルの聖者モーセおよびその兄アロンと戦ったエジプトの魔術師とは、信仰の型、形式、儀式、祭式それだけではなく組識、権威、権力、名誉欲、金銭欲にこだわり唯一の神を認めない現代の宗教指導者のことなのです。

さらに言わせてもらえば、本当のイエスを受け入れず、唯一の神を認めず、不思議な魔術を行い、最大の反キリストである悪魔に自分の信者と地球を売り払う盲目の宗教指導者こそ、反キリスト(不法の者、滅びの子)そのものではないですか。

 

子供たちよ。今は終りの時である。

あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、

今や多くの反キリストが現れてきた。

それによって今が終りの時であると知る。

彼らはわたしから出ていった。

しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。

  聖書  ヨハネの第一の手紙  2章

 

貪欲な説法者は 己が野心におぼれ

むやみに欲しがる他に 何もすることがない

その者と信者たちは 共に墓穴を掘り

万事あべこべに見て 迷宮の森を押し進む

  諸世紀 6−93

「ノストラダムス最後の警告」 飛鳥昭雄 著

 

宗派に従う者は 密告者に大きな痛手を与え

獣は舞台に情景を用意し

不正な事実の発見者は有名になるだろう

そして宗派で世界は混乱し分裂するだろう

  諸世紀1−45

「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳

 

拝みたいならどんな御神体、本尊、神を拝んでもよいのです。つまらない選民思想を捨ててそれが積極思考をするための型の一つであることをわきまえさえすれば。あなたがたは、直接的にまた間接的にあなたがたの神や仏を通して自己の中の唯一の神を崇拝すればいいのです。

個人の信仰の型としての宗教は残ってもよいのでしょう、どんな積極思考であろうとも型や方法はあるのだし、どれも天から下った聖者が授けてくれた尊いものであり、どの神や仏も結局は唯一の神につけられた別の名にすぎないのだから。

しかし集団のエゴを広め憎しみの元凶となる布教活動や宗教団体は、新世界にはもう必要ないのです、人間として必要なことは、清い心を持ち精いっぱい努力するだけで充分なのだから。

でも、あなたがたには特別な使命があります。あなたがたは宗教を持たない人より多くを学んできたはずです。あなたがたが信仰する神や仏の教典に何が書かれているかをもう一度よく見てください。

 

           

この世なくしてあの世はないのだ。

この世を逃げてあの世はないのだ。

この世で幸せになれ。生きながら仏となるのだ。

この天地宇宙が生きている力と、

この体に生きる力とは同じなのだ。

さあ・・・手を合わせ。風が吹くように。

光がさすように。心に光を放て!

  空海

 

そして悔い改めて、宗教のエゴ、形式、儀式、組織ではなく、「我々の生命はこの宇宙を創造した一なる大生命の一部であり我々の生命の中にその力は活きてい る。ゆえに小さな苦しみに負けない強い心を持ち精一杯の努力をして、本来ひとつである自他の生命を尊重し、みんなが幸せになれる世界を築きなさい」という あなたがたが学んできたすべての宗教が持つ根元的思想を手に手を取り合って広め、この地上から一切の宗教的争いを消し去り、これだけのことをしてくれた光 の友をこの地球に導く運動の中心にならなければなりません。あなたがたは神や仏の直弟子なのですから。

 

何か(新しい)啓示のお言葉が下るたびに、

彼らの中には

「こんなもので信仰が増したのはどこの誰だ」などと

言い出す者がある。

実は本当の信仰をもった人たちは

みなこれで信仰が増し、大喜びになるのに。

だが心の中に病気をもった者ども、

穢れの上にますます穢れが加わって、

とうとう無信仰のままで死んでしまう。

自分たちが(このようにして)年に一度か二度

試みられていることが一体彼らにはわからないのか。

それで結局、改悛することもなく、

はっと目醒めることもない。

  コーラン  改悛

 

今のうちに正法をそしった罪を

悔い改められるならば、

阿闍世王が白癩の病を治して四十年も命をのべ、

無根の信と申す位にのぼって、

現身に無生法忍を得たごときものである。

日蓮御書  同体同心事

 

すべてわたしの愛している者を、

わたしはしかったり、こらしめたりする。

だから、熱心になって悔い改めなさい。

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。

だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、

わたしはその中にはいって彼と食を共にし、

彼もまたわたしと食を共にするであろう。

勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。

  聖書  ヨハネの黙示録  3章

 

悔い改めてあなたがたが救世主にならなければならないのです。救世主とはイエスの証人のことです。いや、イエスだけでなく我々に言葉を伝えるために天から 下ったもろもろの聖者の証人です。あなたがた自身がこの世を救う救世主に、あなたがたの神や仏の証人にならなければならないのです。

 

救世主(メシ ア、キリスト、マフディー)、弥勒菩薩(マイトレーヤ、ミスラ、ミトラ、摩多羅神、牛頭大王)、上行菩薩(地涌之大士、聖人)、カルキ、パハ ナ、、、、、、。これもまたその呼び方はどうでもよいのだが、本来、救世主という称号は、神や仏の弟子であるあなたがたが一つになって持つべきものなのだ から。以前に浅利氏が救世主だとお話ししましたが、その称号もあなたがたから一時お借りしたにすぎないのです。

 

わたしが父のみもとから

あなたがたにつかわそうとしている助け主、

すなわち父のみもとから来る真理の御霊が下る時、

それはわたしについてあかしをするであろう。

あなたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、

あかしをするのである。

  聖書  ヨハネによる福音書  15章

 

これ、汝ら、信徒の者、

正々堂々とアッラーの前に立ち、

正義の証人たれ。

  コーラン  食卓

 

分かりますよね。一番正しい宗教、宗派、教団などあってはならないのです。少なくとも他の宗教、宗派、教団も自分達とまったく同じ価値があったのだと心の底 から認めないかぎり本当の意味での宗教の相互理解も世界平和もないのだから。世界平和、宗教の相互理解を主張するあなたがたが、もはや自分の宗教、宗派、 教団が一番正しいとはおっしゃりはしないでしょう。負け組みを作って、自分達の宗教、宗派、教団だけが大勝利をしても、それが本当の勝利と言えるのでしょ うか。負け組みを作らず全人類が勝利することこそ本当の大勝利ではないのでしょうか。

 

どれか一つの宗教、宗派、教団が正しかったのではなく、みんな方便だったがみんな正しかったでいいじゃないですか。みんな尊い集団だったでいいじゃないですか。中東では、同じ神(ヤハウェ=エホバ=アッラー)を崇 める者が、宗教、宗派の違いで今も神の名のもとに殺し合いをしているのてす。

こだわらない心、広い心、これが空なり般若心経。みんながこだわり、 エゴ、権力、我欲を捨てて少しずつ道を譲り合って宗教の本質は一つなんだと認め、手を取り合って世界を一つにして、これだけの作業をしてくれた隣人である 我々の子孫を仲間として受け入れなければならない時が来たのです。

 

また地のもろもろの国民は

あなたの子孫によって祝福をえるであろう。

あなたがわたしの言葉に従ったからである。

  聖書  創世記  22章

 

あなたがたは神様や仏様の大切なお弟子であり、どれもみな尊い集団なのです。あなたがたを軽んじるわけにはいきません。私は仔牛の男。いや、牛の糞程度の人間です。

だ からギリギリの所で最も大切なことは何かを学ばされ、こんなことをしなければならなくなってしまったのです。自分の人生の責任を取らなければならなくなっ てしまったのです。神様や仏様の大切なお弟子である立派なあなたがたならきっと分かって下さると信じてペンを取りました。いや、私自身の妻や親や兄弟でも あり恩人でもあるあなたがた宗教者と分かり合えることを信じて、そして自分自身の心を病にしないためにペンを取りました。

 

 

追伸  イスラム教徒、ユダヤ教徒のみなさんへ

 

イスラム教徒のみなさん、今、あなたがたの一部の同胞が大切な命を投げ出して自爆テロをしていることに心をいためていると思います。誰が自分の大切な命を投 げ出したいでしょうか。誰が自分の肉親や同胞が死ぬのを悲しまずに見ていられるでしょうか。いや、心を痛めているのは、あなたがたイスラム教徒だけではな く、同じ人類の同胞として世界の多くの人々が心を痛めているのです。

でも、力を持たないあなたがたとしてはそんな悲しい行為で自分たちの主張を世界に訴えるしかなかったのですよね。でも、もう一切のテロは許されないのです、アッラーが許さないのです。

 

ユダヤ教徒の神は誰ですか、キリスト教徒の神は誰ですか、、、あなたがたと同じアッラーではないですか。彼らもまたあなたがたと型の違う唯一絶対神を崇拝するイスラム教徒なのです。このことはあなたがたの聖典・「コーラン」にも明記されているはずです。

 

(ユダヤ教徒やキリスト教徒に)言ってやるがよい、

お前たち、アッラーのことで我々と

言い争いをしようというのか。

アッラーは我々の神様でもあれば、

お前たちの神様でもあるものを。

  コーラン  牡牛

 

確かにパレスチナのイスラム教徒は、土地を奪われ、親を殺され、兄弟を殺され、子供を殺され、本当に悲惨な思いをしてきたのだと思います。しかし、それはあ なたがただけでなく、イスラエルのユダヤ教徒も同じなのです。イスラエルのユダヤ教徒のみなさんは思い出してください、国を奪われ世界を放浪して、迫害さ れた日々のことを、数えきれない同胞が虐殺された日々のことを。今のイスラム教徒はかつてのあなたがた自身の姿なのです。イスラム教徒もイスラエルのユダ ヤ教徒も、平和にどっぷり漬っていた我々日本人にはとても想像もできないほど悲惨な思いをしてきたのだと思います。その日本人である私ごときがあなたがた の宗教のあり方を批判するなどという大それたことをしたことをどうかお許し下さい。しかし、我々日本人はあなたがたと全くの他人ではない可能性もあるので す。と言うのも、古代日本文化の形成において、中東からやって来た人々が大きく関わっている可能性があるのです。

 

もう、こんな悲惨な争いはやめに しませんか。人種、民族、宗教、宗派、国家、、属している組織に関係なく、人類はその本質である聖なる霊において一つなのです。人類が共通に持っている本 心、良心において、その真心において一つなのです。その他を思いやる真心こそがあなたがたの神、ヤハウェでありエホバでありアッラーなのです。

 

すべては枠組みをつくり他を差別することに問題があるのです。ここにすべてを解決する方法があります。万人に内在し万民の生命それ自身である唯一の神の尊さ を認め、人種、民族、宗教、宗派、国家、組織の垣根を取り払い、愛と思いやりで世界をひとつにして、我々人類の子孫である天使を客人、いや同胞として受け 入れることです。もはや残された時間は、わずかしかありません。

 

 

大いなる一族のところに やってくるとき

彼がたましいのすべてをもどすまえに

いまや明白となった事実を見るだろう

鷲とライオンと十字形の王冠とで

  諸世紀6−71

「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳

 

どんな不正であれ、

どんなとがであれ、

すべて人の犯す罪は、

ただひとりの証人によって定めてはならない。

ふたりの証人の証言により、

または三人の証人の証言によって、

そのことを定めなければならない。

  聖書  申命記 19章

 

いよいよ臨終で遺言したいと思う時には、

同族の公正な男を二人だけ証人にたてるようにせよ。

  コーラン  食卓

 

あなたがたの律法に

ふたりによる証言は真実だと、

書いてある。

  ヨハネによる福音書  8章

 

主のすべての道は

その契約とあかしとを守る者には

いつくしみであり、まことである。

聖書  詩編  25章

 

またアッラーとの契約は

必ず果たすよう。

  コーラン  家畜

 

そのことがまだ起こらない今のうちに、

あなたがたに言っておく。

いよいよ事が起こったとき、

わたしがそれであることを、

あなたがたが信じるためである。

よくよくあなたがたに言っておく。

わたしがつかわす者を受け入れる者は、

わたしを受け入れるのである。

わたしを受け入れる者は、

わたしをつかわされたかたを、

受け入れるのである。

  聖書  ヨハネによる福音書  13章

 

 

         

携挙期間直前の今、精神病の諸症状を発してしまった。もちろん自分が逃げるためにこんなことをしてきたのではないが、いくら苦しいからと言って心までは病ますまいと、注意はしてきたのだが。

 

これは私の何かが間違っていたからなのだろうと、言う気持ちがこみ上げてきた。まわりの人々にも信仰ということにも、感謝が足りなかったのだと感じた。苦労に苦労を重ねた母の信仰。尽くしてくれた妻の信仰。

何かに頼りたい、すがりつきたいのは、私自信だったのかもしれない。そして、何にすがっても、何を崇拝してもいいんだと言う気持ちがこみ上げて来た。何にすがっても、何を崇拝しても、とにかく自ら命を絶つな。

これから地球人は、永遠の生命を引き受けなければならない。辛いこともあるだろう。苦しいこともあるだろう。何があっても自分から命を絶つな。

 

 

何を崇拝しても、何にすがってもいいんだ。何を崇拝しようと、人間は宇宙の大生命の中にいて宇宙の大生命しか崇拝できないのだから。

 

偶像崇拝とは、偶像を崇拝することではなく、それが創造主、宇宙の大生命、ヤハウエ、エホバ、、、一神だと気づかず、自分たちだけの神を崇拝し、他者の信仰を否定することであると、やっと気づけたのだ。自分の高慢さにやっと気づけたのだ。

 

皆の信仰する神が一つであると捕らえるのが一神教、他者の信仰を他の神と捕らえるのが多神教の本当の意味だったのだ。

 

そして、私があなたがた宗教者にお願いすることは、たった一つであることに気づいた。

 

祈ってください、

みんなの幸せを、

あなたがたの方法で。

 

  

 

      

           

世界の大禊ぎと愛の祈り−緊急報告2

 

そ の後の研究により、天理、大本、成長の家、世界救世教、真光、、、、、といった江戸時代末期から始まった神道系新宗教、そして日月神示(ひふみ神示)も、 どうも天使たちの作品らしいことが分かった。また最近はチャネリング(テレパシー)で彼らの前世であるチャネラーにもメッセージを送っているようである。 国外でも「シルバー・バーチの霊訓」などもそうなのであろう。またUFOコンタクティ−も同様のメッセ−ジを受け取っているようである。

 

いずれ私の身元を明かす日も来ることでしょう。

私は仰々しい名前を使うことによって

敬愛を受けたくはありません。

私が語る真理によって私の真の価値を証明するために

あえて素朴なインディアンに身をやつしております。

それが自然の理というものなのです。

  シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチの霊訓(一)」 アン・ドゥーリー 編、近藤千雄 訳

 

私達はイエスと同じように

大神霊の力を伴ってやって来ている。

そして同じ啓示、同じ通信を送る。

  シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチ霊言集」 A・Wオースティン編、桑田啓善 訳

 

 

これら神道系新興宗教の教えは人間は創造神である「大神、大元の神、親神など」の「分け御魂(分身分霊)」であり、やがてその創造神の意向により「世の立替 え立直し」、「大峠」、「大禊」、「火の洗礼、水の洗礼」「大浄化」があり、その後「ミロクの世(理想世界)」が到来すると同じ言葉、同じ口調で警告して くるのである。

この章では岡本天明氏の日月神示からいくらかを引用させていただく。そしてそこには、疫病と飢饉による悪魔の地球侵略計画が詳しく語られていたのだ。

そ して最も大切な思想、この世界のすべてがつながりであり人間には宇宙の大本(大元)の神の最も尊い力が与えられているのだといこと、人間こそ神であるとい うこと。だから自己の中の神の霊の力を自覚し心の使い方を間違えずに、天理に沿って心をプラスに積極に保ち、天成る道、惟神の道、神の心である絶対愛の道 を強く活き抜き、魂を成長させなさいと言うこと、「霊主体従」、「神人合一」。

 

神は一瞬たりとも休むことなく働き、

全存在のすみずみまで完全に通暁しております。

神は法則として働いているのであり、

晴天の日も嵐の日も神の働きです。

 

あなたも神の一部なのです。

神はあなた方一人ひとりであると同時に

あなた方一人ひとりが神なのです。

 

魂の奥には物質界のいかなるエネルギーより

大きい威力が秘められています。

宇宙の大霊の一部だからです。

 

人間には完全なる神の分霊を享けて生まれていますが、

それは魂の奥に潜在しているのであって、

それを引き出して磨きをかけるためには、

是非とも厳しい試練が必要なのです。

 

つまりあなた方は本来が霊的存在であり、

それが肉体という器官を通して

自己表現しているのだということです。

霊的部分が本来のあなたなのです。

霊が上であり身体は下です。

霊が主人であり身体は召使いなのです。

霊が王様であり身体はその従僕なのです。

霊 はあなた全体の中の神聖を帯びた部分を言うのです。

それはこの大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と

本質的には全く同じ霊なのです。

つまりあなた の奥にはいわゆる”神”の属性である

莫大なエネルギーの全てを未熟な形、

あるいはミニチュアの形、

つまり小宇宙の形で秘めているのです。

その秘められた神 性を開発しそれを生活の原動力とすれば、

心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。

なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは

何一つ起きな いことを悟るからです。

と言っても私どもはあなた方の生活の中から

問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。

お約束できるのは全ての障害を乗り越え、

不可能と思われることを可能にする手段を

あなたがたの中に見出すようにすることです。

 

何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、

何一つ思い患うことのない人生を送っていては、

魂の力は発揮されません。

何かに挑戦し、苦しみ、

神の全計画の一部であるところの

地上という名の戦場において、

魂の兵器庫を開き、

神の武器を持ち出すこと、

それが悟りを開くということです。

 

この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ

−自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、

という絶対的確信を抱くようになります。

 

そしていったん霊的真理に目覚めると、

その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、

その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを

発揮しはじめることになるのです。

 

宇宙の大霊である神は

決して私たちを見捨てません。

従って私たちも神を

見捨てるようなことがあってはなりません。

 シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチの霊訓(一)」 アン・ドゥーリー 編、近藤千雄 訳

 

天地の心は己が心なり 

外に心のあると思うな

 黒住教 黒住宗忠の歌

 

「潜在意識の掃除洗濯」、「潜在意識の浄化」、「積極思考、無条件の愛による世の立替え立直し」。これこそ「魂の掃除洗濯 」、「浄霊」、「陽気ぐらしによる世の立替え立直し」だったのだ。

 

愛する者たちよ。

わたしたちは

互に愛し合おうではないか。

愛は、神から出たものなのである。

すべて愛する者は、

神から生まれた者であって、

神を知っている。

愛さない者は、

神を知らない。

神は愛である。

「聖書」 ヨハネ第一の手紙 4章

  

これから、地球人ひとりひとりが、自己のマイナス意識を洗い清め、三千世界(霊的世界をも含めた全世界)の幸福、大調和を願う愛の思念を発さねばならないのである。最高の積極思考である無条件の愛(絶対愛)の思念で世界を満たさなければならないのである。とは言っても、別に特別のことをするわけではない。だだ、自他を許し批判することを止め、善悪、好き嫌い、敵味方に関わらず、在りとし在りしものへの幸福、世界の大調和、感謝といった無条件の愛を心に願えばいいだけである。

心に願うだけでも、イメージを描くだけでもいいのである。いや、皆の幸せな未来を語るだけでも、その言霊が霊的世界に響き渡るのである。

 

隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、

あなたがたの聞いているところである。

しかし、わたしはあなたがたに言う。

敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

こうして、天にいますあなたがたの父と子となるためである。

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、

正しいメにも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

「聖書」 マタイによる福音書 5章

 

私は幸せでありますように

私の親しい人々が幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

私の嫌いな人々も幸せでありますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

南伝仏教 慈悲の瞑想(四無量心観)

「運命がどんどん好転する―慈悲喜捨の瞑想法」   A・スマナサーラ

 

 

願わくば、

この功徳を以って、

普く一切に及ぼし、

我らと衆生と、皆共に、

仏道を成ぜんことを

 法華経 回向文

 

私のしごとは人々に光を送るしごと

みんなが幸せでありますように

世界が平和でありますように

 しごと 五井昌久

 

それは、祈りという形式はなくとも、もう充分な祈りなのである。イエスは、悪魔払いをするには、祈りが必要であると言っているが、それは小さな個人の欲望を願う小我の祈りではなく、この無条件の愛による大我の祈りだったのである。イエスが言うように、完了形で無条件の愛を送るのもひとつの方法かもしれない。

 

そこで、あなたがたに言うが、

なんでも祈り求めることは、

すでにかなえられたと信じなさい。

そうすれば、そのとおりになるであろう。

「聖書」 マルコによる福音書 11章

 

いや、むしろ形式や方法にこだわってはならない。歴史を振り返れば、愛を説く者たちが形式、方法の違いで宗教、宗派を造り争ってきたのだから。もちろん宗教をお持ちの方は、その信仰の型に乗せて、無条件の愛の思念を、世界に送ればよいのである。

いや、神や仏の偉大なるお弟子である宗教者にこそ、あなたがたの方法で、愛の思念を送って欲しいのである。

この世界は神の思念の中にあるのだから、いかなる神を崇拝しても、唯一の神しか崇拝できないのだから。

地球人ひとりひとりが『全世界の幸福、大調和を願うプラスの思念』を発することによって、霊的世界(実相の世界、思いの世界)を浄化し、さらにこの世界の運命も変えてしまうのである。

なぜなら霊的世界で起こったことが、いずれこの世界に現実として現れるのだから。

 

この故に地上世界は滅びる、

古い文明が滅びたように、

今この世界も崩壊に瀕している。

私たちは人類を愛するが故に、

神から出る愛が私達を通じてほとばしるが故に、

私達は地上に戻り、

いま人類に助力して、

この破壊から立ち上がらせ、

不滅の基礎の上に、

即ち神の神法の上に新しい文明を

再建させようとするのである。

 

もし、霊的真理に気付く人達がみんな団結して、

唯物的なこの世界にたちこめる真黒な霧を、

追い払おうとすれば、大事業が達成されることになる。

だから不動の確信を持って前進されよ。

皆さんの傍らには、奉仕の一切の力が置かれている。

 

また地上に起こる悲劇、飢饉、災厄のすべては、

神法の不履行によって起こることを

人類は学びとることになろう。

  シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチ霊言集」 A・Wオースティン編、桑田啓善 訳

 

災劫が解消されるか否かは、

ひとえに人の心にかかっている。

人の心の向かうところに照応して、

災劫は、あるいは現れ、

あるいは消えるのである。

人心が不善であれば、

邪気は多大となって災劫がはなはだしくなる。

人心が善であれば、

善の気が凝って災劫が解消される。

  道教 紅卍会の預言

「ムー謎シリーズ 大予言事典」

 

 

立替を 世人のことと な思いそ

立替するのは 己が御魂ぞ

  大本教 出口王仁三郎の歌

 

この世界の大浄化は、地球人ひとりひとりがどれだけ良い思念波を発することができるかという思考戦である。そしてこの戦いで最も強力な武器となるのが言霊で ある。思考がマイナスに引きずり込まれそうになった時こそ、自他の幸福、大調和を願うプラスの言葉で自分を励まし心の浄化をするのです。世界の大浄化をするのです。

世界の大禊、大いなる浄めの日が、今始まったのです。

 

人生はその行為だけでなく、

その言葉、その思念からも成り立っている。

行為がすべてと思ってはいけない。

勿論行為は重要だ。

しかし言葉と思念もものを言う。

悲しいかな、貴方がたの多くは、

思念の主とならず、その奴隷となっている。

  シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチ霊言集」 A・Wオースティン編、桑田啓善 訳

 

確かに天から再臨するイエス(天照大神)は救世主なのですが、この意味ではひとりひとりが自分自身を救い世界を浄化し救う救世主にならなければならないので す。くれぐれも言っておきますが、最後の審判とは、人間を善人と悪人に分けて、悪人をこの世から一掃するといった安直なものではないのです。どんな人間に も他を思いやる善なる心と利己的な未熟な心を持っているのです。最後の審判とは、利己的な心、弱い心、憎しみ、嫉妬、怒り、恐怖、慢心、貪欲、、、、そし て「われよしの心、迷いの心(選民思想)」を洗い清め、善なる心、我々の生命に内在する宇宙の心とその力を輝かせるひとりひとりの戦いなのです。実は、神 である我々人間の悪魔的意識が凝り固まって悪魔的未来人をも造り出したのです。天使的意識が凝り固まって天使的未来人をも造り出したのです。これが悪魔と 天使の正体だったのです。

 

地上は自分で自分を救う道を、

学びとらなければならない。

 

私は決して物質を無視せよと言っているのではない。

人は物質の世界にあって自己を発揮し、

またしかるが故に、

人はこの物質世界に責任を負う者であるから。

しかし、人が神であり、

神が人であることを忘れてはいけない。

神のものである力、即ち貴方の中にある力、

この力あればこそ、貴方はいかなる物質にもまさって、

それらに犯されるものではない。

これがまウしく、一切の悪を退け、

病気を克服して、

あらゆる障害と闘うことのできる力である。

しかしこの力を用いる者の数は極めて少ない。

昔イエスもそのことをこう教えている、

「天国は汝等の内に在り」と。

  シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチ霊言集」 A・Wオースティン編、桑田啓善 訳

 

すべては「一条の道」、「一筋の道」、「万教同根」、「万教帰一」につながっていたのだ。

「九分九厘」のことは宗教や預言という形で人類に知らされていたのだ。しかし最後まで言えなかったことがある。これこそが最後の最後まで言えなかった「とどめの一厘、一厘の秘密」だったのだ。

 

今、とどめの一厘と九分九厘との戦い、「とどめの戦」が始まったのだ。

いや、とどめの戦など始めてはいけない。今こそわれよしの心(選民思想)を捨てて九分九厘と一厘が一緒になり「十全」となり世界救世の真光となり、どれか一つの宗教、宗派、教団に属しているほんの一部の人間だけではなく世界一列皆助けなければならないのです。

 

56 億7千万年、、、五千年期、六千年期も過ぎ、栄光の七千年期となった今、ミロク(567)の世を導かなければならない時なのです。神が手のひらを返すとい う「天意転換」の時なのです。「富士と鳴門の仕組」すなわち「不死と成る答の仕組」を実行しなければならない時なのです。

 

嫉妬心、口論,諍い、殺人、混乱、羨望、貪欲、恨み、

こうしたものを地上より一掃することは可能です。

そして、それに代って思いやりの心、

親切、優しさ、友愛、協力の精神によって

生活の全てを律することができます。

それはその根幹として、霊性において

人類は一つであるとの認識が必要です。

  シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチの霊訓(一)」 アン・ドゥーリー 編、近藤千雄 訳

 

貴方が人に奉仕することは、

神に奉仕することである。

その時、無限の神の御手は貴方に触れ、

貴方は神の愛に包まれつつ、

完全な平和の中に立っているのである。

 

やがて新しい民族が台頭する。

その民族は一切の政治も宗教も科学も、

ただ一なるものの各部分である事を認める。

その日には、苦しみも涙も嘆きも災いも消え失せ、

地上は唯、微笑みと幸福の国と変るだろう。

 

私達の教えが地上に広がっていくと、

人間の一切の差別は消えていく。

国と国との垣根、民族の差別、階級や、人種や、

またあらゆる宗教や宗派はやがて悟るだろう、

各宗教は神の真理の一部ずつを持っていて、

他の宗教の核心は、また自宗の貴重な本旨と

矛盾するものではないことを。

  シルバー・バーチの霊訓

「シルバー・バーチ霊言集」 A・Wオースティン編、桑田啓善 訳

 

日月神示  岡本天明

    

 

今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、

いよいよが来たので皆にしらすのであるぞ。

百年も前からそれ洗濯じゃ、掃除じゃと申してありたが、

今日のためぞ、岩戸ひらきのためであるぞ。

今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)びらきじゃ。

 

善も悪もないのざぞ、審判の時来てゐるのにキづかぬか、

其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ、

 

この神は日本人のみの神でないぞ。

 

タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交り合うのであるから、

人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。

 

此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。

今度は正味の信仰であるぞ。

神に真直に向かふのざぞ。

 

神も仏もキリストも元は一つぞよ。

 

仏教もキリスト教も回教もみな方便でないか、教はみな方便ぢゃ。

教ではどうにもならん。ぎりぎりの世となってゐるのぞ。

 

今度は末代動かぬ世にするのざから、

今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、

 

この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、

道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。

 

神から出た教えなら。他の教えとも協力して共に進まねばならん。

教派に囚はるは邪の教え。豚に真珠となるなよ。

 

真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。

形式に囚はれなくなるぞ。

 

国々所々によって同じ集団いくらでもつくりあるのぢゃ、

何れも我折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、

いづれもそれぞれに尊い仕組ぞ、又とない集団ざぞ。

神の心告げる手だても各々違ふのぢゃ、心大きく早う洗濯致されよ、

とらわれるなよ、とらわれると悪となるぞ。

一旦治るなれど、後はコンニャクぢゃ、判らん仕組、

判らなならんのぢゃぞ、悪とは我よしのこと。

 

特別な使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、

人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。

また天使の霊が母体に宿り人民として生まれてくる事もあるぞ、

末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

 

天使は天と地の和合者、

 

びっくり箱にも悪いびっくり箱と、嬉し嬉しのびっくり箱とあるのざぞ、

何も知らん人間に、知らんこと知らすのざから、

疑うは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もっているのざから、

早ようこの神示読んで洗濯してくれよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、

神の道は無理ない道ざと知らしてあろうが。

 

地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。

 

やがて火の雨 地震ひ、山は火を吹きどよめきて

 

幽国(がいこく)は火の雨ぢゃなあ。世界一度に改心。

 

江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、

江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。

 

火と水と申してあろがな。火つづくぞ。雨つづくぞ。

火の災(わざわい)あるぞ。

水の災あるぞ。火のおかげあるぞ、水の災 気つけよ。

火と水 入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。

火と水の御恵みあるぞ。

一度は神の事も大き声して云へん事あるぞ、

それでも心配するでないぞ。

 

天地には天地のキ、民族には民族のキあるぞ。そのキは時代によって変って来る。

その時のキが、その時のまことの姿であるぞ。それに合はんものは亡んで了ふぞ。

火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、カ、ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理ぢゃ。

 

月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。

人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、

一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、

一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、

天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。

 

地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて

どうにもこうにもならんことになるぞ、

其の時この神示、心棒に入れてくれよ、

百人に一人位は何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。

 

石屋の仕組みにかかりて、まだ目覚めん臣民ばかり。

日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。

今度は神があるかないかを、ハッキリと神力見せて、石屋も改心さすぞ。

 

(注)  「石屋」とは、悪の仕組みを実際に策謀する人間たちとともに、

その背後から霊的に働きかける悪魔までをもさした言葉である。

       中矢伸一氏による解説

     「日月神示 艮の戦」  中矢伸一  著

 

北から来るぞ。神は気もない時から知らしておくから、

よくこの神示、心しめて居れよ。

一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くこともあるぞ。

いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には付かんぞ、

着ても着ても、食うても、食うても何もならん餓鬼の世ざぞ。

早よう神心にかえりてくれよ。

 

北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、

天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、

この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、

神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意をいそぐぞよ。

 

外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、

ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて

一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、

神は心配ないなれど、ついて来れる臣民 少ないから、

早う掃除して呉れと申すのぞ、

 

世界は一つになったぞ、

一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。

臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、

くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。

覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、

学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。

 

世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思ってゐて、

それでまだ眼覚めんのか、よく曇りなされたなあ、

 

悪神よ、今迄は思ふ通りに、始めの仕組通りにやれたなれど、

もう悪の利かん時節が来たのであるから、早う善に立ちかへりて下されよ。

善の神まで捲き入れての仕放題、これで不足はもうあるまいぞや。

 

まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、

神の国千切りと申してあるが、喩(たと)へではないぞ、

いよいよとなりたら神が神力出して上下引っくり返して神代に致すぞ、

とはの神代に致すぞ。

 

立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道である。

平面のみではどうにもならない時となってゐるのに、

何して御座るのか。黒船にびっくりしては間に合わん。

世の元からの生神が揃うて現はれたら、皆腰ぬかして、

目パチクリさして、もの云へん様になるのざぞ。

神徳貰うた臣民でないと中々越せん峠ざぞ、

 

ダマシタ岩戸開きではダマシタ神様お出ましざぞ、

 

この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、

人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、

石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、

それが神の或る活動の時の姿であるぞ、

 

空に変りたこと現はれたなれば地に変りたことがあると心得よ、

いよいよとなりて来てゐるのざぞ。

 

云ふだけで聞けば実地に出さんでもよいのぢゃ。

実地には出したくないのぢゃ。この道理、よく悟りて呉れよ。

実地に出しては人民 可哀さうなから、

こらへこらへて くどう申してゐる内に、早うさとりて下されよ。

 

建替延ばしに延ばしてゐる神の心判らんから、余り延ばしては丸つぶれに、

悪のわなに落ちるから艮(とど)めの一厘のふたあけるから、

目開けておれん事になるぞ、早う知らせる人民には知らしてやれよ、

 

わけの判らん虫わくぞ。

訳の判らん病ひどくなって来るのざから、

 

病神がそこら一面にはびこって、

すきさへあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、

余程 気付けて居りて下されよ。

 

世界に何とも云はれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。

食ふべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。

 

日本の国に食物なくなってしまふぞ。

世界中に食べ物なくなってしまふぞ。

 

政治も経済も何もかもなくなるぞ。

食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。

 

人間 眼明けて居れん事になるぞ、

さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、

二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、キリキリ二股多いぞ。

獣となれば、同胞(はらから)食ふ事あるぞ。気付けておくぞ。

 

日に日に厳しくなりて来ると申してありた事 始まってゐるのであるぞ、

まだまだ激しくなって何うしたらよいか分らなくなり、

あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、

頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。

 

一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、

よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。

 

オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。

北に気つけて呉れよ、

 

目も鼻も開けておられん事が、建替への真最中になると出て来るぞ、

 

今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、

今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、

半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、

心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。
 

神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来 んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ 出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も 生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申し てあろがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。

 

心で悟って下されよ云うだけで聞けば実地に出さんでもよいのじゃ

実地には出したく無いのじゃこの道理、よく悟って呉れよ

実地に出しては人民可哀想だから堪え堪えてくどく申している内に、早く覚って下されよ。

 

又奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。 

高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。

為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。 

 

神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。

神が霊となり花むことなるのぢゃ。

人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。

この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。

永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。

 

世変りたら生命長くなるぞ。

今迄 上にあがりて楽してゐた守護神は大峠越せん事になるぞ。

肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。

 

今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。

何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。

今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、

影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれ。

 

大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代 極み来る

 

 

 

 

 

 

 

 

神は人なり、人は神なり、一体なり、神人なり。

 

神は人となりたいのぢゃ。人は神となりたいのぢゃ。

霊は形を形は霊を求めて御座るのぢゃ。

人は神のいれもの、神は人のいのち。

 

人間の肉体は原則として真理の宿り給ふ神の生宮であるから、

 

神は人間の命、人間は神の容れものであると申してあらう。

人間の極まるところは神であるぞ。

 

神の衣は人であるぞ、汚(けが)れ破れた衣では神はいやざぞ。

 

運命は自由自在のものではあるが、又強ひるものでもあるぞ。

大きくも、小さくも、薄くも、厚くも、その人の心次第に変るぞ。

もとは霊界にあるからぞ。

 

神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、

悪にまけて汚して仕まうて、

それで不足申してゐることに気づかんか。

 

何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。

内にあるから外から迫るのぢゃ。

自分で呼びよせているのぢゃ。

苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、

不足申している者 多いのう。

 

念からつくり出せよ。

その念のもとをつくれば、

神から力を与へるから、

この世の力と現はれるぞ。

 

念は語ることによって現れるのぢゃ。

 

人間の念力だけでは何程のことも出来はせんぞ。

その念力に感応する神の力があるから人間に判らん、

びっくりが出て来るのざぞ。

 

カミヒトと申すのは、神の弥栄のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ。

神のため祈れば神となり、世のため祈れば世と一体となるのぢゃ。

自分のためばかりで祈れば迷信、われよしの下の下ぞ。

 

専一、平和祈らなならんぞ、その位 判って居ろが。

今ぢゃ口ばかりぢゃ、口ばかり何もならんぞ、マコト祈らなならんぞ。

真中の国、真中に、膝まづいて祈り事されよ。

 

宇宙のすべてがつながりであるぞ。

石でも水でも草でも木でも動物でもすべてがつながりぢゃ。

手と頭のようなもんぢゃ。拝み合へよ。親しみ合へよ。

和せよ。和すと自分となるのぢゃぞ。

自分 大きく、明るくなるのぢゃ。豊かにうれしうれしぢゃ。

赤いものの中にゐると赤くなって行く。理(リ)に向ってゐると、

いつの間にか神の気いただくぞ。神の光がいただけるのぢゃ。

 

心をさっぱり洗濯して改心致せと申してあろう、

悪い人のみ改心するのでない、

善い人も改心せねば立体には入れん、

此度の岩戸は立体に入る門ぞ。

 

神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、

早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、

鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、

どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。

 

世界の人民、動物虫けらまでも助ける仕組であるから、

人民 早う改心せねば、気の毒いよいよとなるぞ。

 

何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。

 

コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。

 

 

 

 

 

参考文献

 

「神の正体 I・II」   浅利幸彦  著  時の経済社

「未来からの大警告」 浅利幸彦  著  徳間書店

「セザール・ノストラダムスの超時空最終預言 上、下」 浅利幸彦 著 徳間書店

「ノストラダムスは知っていた」 浅利幸彦 著 徳間書店

 

「口 語訳聖書  」                            日本聖書協会

「仏教聖 典」                                仏教伝道協会  

「ノストラダムスの遺言書」 ダニエル・ルゾー著 流智明 監修  二見書房

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修       二見書房

「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳            たま出版

「ノストラダムスの大予言」  五島 勉 著      祥伝社

「大予言辞典 悪魔の黙示録666」 高橋良典 著           学研

「ムー 謎シリーズ 大予言事 典」                       学研

「失われた聖櫃 アークの謎」  飛鳥照雄・三神たける著   学研

「エメラルドタブレット大予言」上坂晨 著     三笠書房 

「大ピラミッドに刻まれた戦慄の予言 人類は滅亡する!」 上坂晨 著 三笠書房

「人間はここまで強くなれる」 謝世輝 著      三笠書房

「法華経 上 中 下」  坂本幸男 岩本裕 訳注           岩波書店

「コー ラン 上 中 下」 井筒俊彦 訳                   岩波書店

「浄土三部経」 中村元、早島鏡正、紀野一義 訳注      岩波書店

「古 事記」 倉野憲司 校 注                            岩波書店

「日蓮」 責任編集 紀野一 義                      中央公論社

「バラモン教経典 原始仏典」 責任編集 長尾雅人   中央公論社

「世界の奇書 総解 説」                                  自由国民社  

「封印された《死海文書》の秘密」 

 K・v・プフェッテンバッハ著、並木伸一郎訳 KKロングセラーズ

「世界 の神話伝説 総解 説」                              自由国民社

「アポカリプス666」  ジーン・ディクソン著、高橋良典 訳  自由国民社

「諸世紀の秘 密」     高橋良典 編 著                     自由国民社        

「太神の布告」 岡本天明 著                  コスモ・テン・パブリケーション

「日月神示」 岡本天明 著                

「正 釈日月神 示」                           中矢伸一 著   徳間書店

「日月神示 宇宙意志より人類へ最終大預言」  中矢伸一 著   徳間書店

「日 月神示 艮の 戦」                        中矢伸一 著   徳間書店

「日月神示 神一厘のシナリオ」              中矢伸一 著   徳間書店

「ユダヤの救世主が日本に現れる」          中矢伸一 著   徳間書店

「日 月神示 外 伝」                          中矢伸一 著   徳間書店

「真説 古事 記」                          山田久延彦 著   徳間書店

「シルバー・バーチの霊訓(一)」 アン・ドゥーリー 編、近藤千雄 訳 潮文社

「シルバー・バーチ霊言集」 A・Wオースティン編、桑田啓善 訳 潮文社

「天風瞑想録 運命を拓く」  中村天風 著      講談社

「お経 禅宗」 桜井 秀雄、鎌田 茂雄 著   講談社

「神 拝詞 集」                                神社本庁 

「ノストラダムス最後の警告」 飛鳥昭雄 著    ASPECT BOOKS

「霊感者スウェデンボルグ」 ウィルソン・デュセン 著、今村光一 訳  サンマーク文庫

「ブッダの宇宙を語る 華厳経の世界 上」 竹村牧男 著  日本放送協会

「それでもあなたの道を行け」 ジョセフ・ブルチャック編 中沢新一、石川雄午 訳 めるくまーる 

「世界超古代文明 神々のミステリー」 赤間剛 著  廣済堂文庫

「ノストラダムス世界大終末」 モーリス・A・ラカス 著  南山宏 訳 廣済堂

「日蓮大聖人御書全集」 日蓮正宗大石寺版

「石仏法句経」 友松圓諦 訳、山本敏雄 編 木耳社

「中国古典選11.老子」福永光司 著  朝日文庫

「人と思想  荘子」 鈴木修次 著      清水書院

「陽明学 回天の思想」  守屋 洋      日本経済新聞社

「倫 理用語集」  濱井修 監修         山川出版         

「弘法大師聖語撰抄」  中川善教 訳  高野山出版

「錬金術」 ユタン・セルジュ 著 有田忠郎 訳  白水社 

「コスミック・トリガー  イリュミナティ最後の秘密」ロバート・A・ウィルソン 著 、武邑光裕 監訳  八幡書店

「エメラルド タブレット」 アトランティス人トート 著、M・ドリール博士 編、林鐵造 訳 霞ヶ関書房

「大断言」  塩谷 信男 著 東明社

「人類の未来」 五井昌久 著 白光出版

「魂のインターネット」 野口慊三 著  日本図書刊行会 

「運命がどんどん好転する―慈悲喜捨の瞑想法」   A・スマナサーラ 国書刊行会

「ノストラダムス予言集」P.ブランダムール  高田勇,伊藤進 編訳

 

本 書「真・立正安国論 未来からの最終警告」は上記の著書は勿論、他に多くの著書を参考に書かれたものであるが、著者が思想的影響を受けたすべての著書を列 記するのであれば、著者が拝読したすべての著書を列記せねばならず、そのようにするわけにもいかないので、最低限の著書を挙げさせていただくこととした。

 

なお、この証、福音は、世界に伝えられなければなりません。ここに私、アサリ二世は、すべての著作権を放棄し、いかなる者も本書を自由に出版、公表できるものとする。

 

 

未来研究家

       アサリ二世

 

 

             

                 

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